2021.09.30

ぽにレコ独占!幻の楽曲、プチ反抗期…Fishmansの素顔に迫る

ぽにレコ独占!幻の楽曲、プチ反抗期…Fishmansの素顔に迫る

“ここ”でしか聞けない“あんな話”や“こんな話”をお届けするぽにレコの目玉企画「ここばな(ここだけの思い出ばなし)」。

全3回にわたりお送りしているFishmansの“ここばな”2回目は、メンバーのパーソナルな部分にスポットを当ててみました!クスッと笑えるものから、ほっこりエピソードまで盛りだくさん。ぜひ、彼らの人柄を身近に感じてみてください。

取材者Profile

渡辺章

渡辺 章

株式会社フジパシフィックミュージック

野中浩稔

野中 浩稔

株式会社ポニーキャニオン

柏子見公昭

柏子見 公昭

株式会社ポニーキャニオン

佐藤伸治の逃亡事件!?謎の伝言を残して消えた真相とは?

fishmans

——Vol.1では、Fishmansとの出会いとその当時の印象などを中心にお伺いさせて頂きましたが、Vol.2ではよりパーソナルな部分をお伺いしていきたいと思います!

渡辺:『King Master George』のときに、小嶋(謙介)くんの曲をレコーディングすることになっていて、その詞を佐藤(伸治)くんが書くことになっていたんですね。最初のうちは「チョロい〜」(佐藤)なんて言っていたけど、詞が全然できなくて。で、いよいよ間に合わなくなってきて、この日までに詞ができなかったらもうレコーディングできないという〆切日を設けて、ミーティングに佐藤くんが詞を持って来ることになっていたんですけど、佐藤くんが来なくて(笑)。新潟に行くという謎の伝言をスタッフに残して消えちゃったんです。

——逃亡!?(笑)。

渡辺:ミーティングに来ないし、詞もないから「レコーディングできないね」ってなって、最初は小嶋くんが「あの野郎!」とか言っていたんだけど、なんか妙にほのぼのした感じになっちゃって「あいつ新潟なんか行ってねーよな」なんて笑いながら話していました。コレが佐藤くん来なかった事件です(笑)。

野中:それは結局ボツに?

渡辺:はい、ボツっちゃいました!なんか楽しかったな〜。

——“ほのぼの”って良いですね!

渡辺:そういえば、『Chappie, Don't Cry』は日本でプリプロをやっていたんですけど、収録曲の「いなごが飛んでる」ってフォーク調の曲じゃないですか。プロデューサーのこだま和文さんはレゲエの人なので、プリプロスタジオで「いなごが飛んでる」をレゲエ風にしようとしていたんですよね。それを佐藤くんが死ぬほど嫌がっていて(笑)。でも佐藤くんって「嫌です」ってはっきり言わないタイプ。こだまさんがフォークのストロークみたいのを止めるよう何回も言っていて、そのときは「はい」って返事をするんだけど、演奏が始まると止めなくて(笑)。

——言うことを聞かなかったんですね(笑)。

渡辺:そうそう(笑)。相当嫌がっているなって思った記憶があります。結局、普通のアレンジのままになりました。

野中:レゲエのスタイルだけを追求しているバンドでもないからね〜。

柏子見:こだまさんで思い出すのは、CDショップ店頭でのインストアイベントにも出てきてくれたのですが、メンバー5人とこだまさんが向き合っていても、ほとんど喋らなくて苦労した記憶があります。

——お客さん入りですか?

柏子見:もちろん!ちゃんとお客さんもいる中でしたけど、お互い人見知りが激しくて、佐藤くんも喋らない、こだまさんも喋らない(笑)。今、思うと茂木(欣一)くんと小嶋くんが喋ってフォローしてくれていましたね。

——人見知りというか、余程、心が通じ合った相手じゃないと心を開かない感じは当時も変わらずあったんですね。

柏子見:そうですね。あとは、僕がラジオプロモーション担当時代、JFN系列で1クールのお試しのレギュラー番組をやらせてもらったことがあったんです。メンバー5人がそれぞれひとつずつコーナーを担当して、合計5個のコーナーで送る深夜の2時間番組でしたが、佐藤くんはなんとか自分は喋らないでおこうみたいな(笑)。茂木くんと小嶋くんが喋ればもういいや、みたいな感じだったんですね。そのお試し期間が評価されたこともあって、その後に『アザラシアワー・ニジマスナイト』というレギュラー番組が始まることになりました。そこでは佐藤くんひとりをピックアップして、とは言えひとりじゃやっぱり大変だろうっていうことで、インタビューで相性の良かったライターの川﨑大助さんを構成作家としてお願いしたんです。でもやっぱり佐藤くんはあまり喋らないので、結局は川﨑さんとふたりで掛け合いをすることになりました。でも、あの番組は佐藤くんの考えもたくさん聞けた貴重な番組だったので、もう一回聞きたいな〜と思います。スピッツの草野(マサムネ)さんとかがゲストに来てくれたりして、マニアの間ではウケていた番組と聞いています。

渡辺:そういえば、『ROCKIN'ON JAPAN』(ロッキング・オン社)で、佐藤くんとスピッツの草野さん、b-flower八野(英史)さんとの“ひなぎく対談”、すごく嫌がっていたな〜。ひなぎく3人組=かわいらしい男3人組みたいに括られて。怒っていたな〜(笑)。

野中:枠にはめにくいタイプだったのかな?ネオアコでもない、毒もある。けれども攻撃的な感じでもない…なぜか“ひなぎく”(笑)。この間、改めて読んだんだけど、なかなかおもしろかったよ。

——嫌と言いつつも佐藤さんは受けたんですね。

渡辺:やらされた後でふざけんな的なことを言っていたような気がする(笑)。

野中:我々としては、『ROCKIN'ON JAPAN』に露出するために、どうやったらページを確保できるのかって思ってしまいますからね。

関係者は見た!佐藤伸治が夜な夜な練習していたあるモノが判明!?

——音楽活動ではないオフのメンバーの思い出とかはありますか?

野中:そうなるとちょっと暗い話ばっかりになっちゃうな(笑)。タイミング的に、小嶋くんが抜けるタイミングでの担当だったので。欣ちゃんとは自宅が近かったこともあってよく一緒に帰っていたんですけど、バンド内での行き違いとか方向性の違いって、外部のスタッフではどうしようもできない部分じゃないですか。でもそれを解決しないと前に進めないっていう。だから欣ちゃんは「なんとかしますので、もう少しだけ見守っていてください」って言っていたよ。

渡辺:それで言うと、僕は(柏原)譲くんだったな。譲くんと一緒にスタジオを行き帰りするときに、同じような話をよくしましたね。

——メンバーの脱退はバンドとしても大きな問題ですからね。

野中:ほろ苦い思い出ばっかりなんだけど、『Neo Yankees' Holiday』で一番深く関わらせてもらって、当時アニメのフィールドの仕事も並行してやっていたりしたから、バンドとの付き合い方のバランスが自分の中ですごく難しくて。アイドルや企画ものって基本スタッフ側で全部企画をして、詞のコンセプトとか含めて全部練り上げていくじゃないですか。でもバンドってそこを押し付けては絶対にいけないというのがありながら、『Neo Yankees' Holiday』の中で一番好きな「Just Thing」の歌詞に意見してしまったというか。

Neo Yankees’ Holiday

——「Just Thing」は同じ詞が続く曲ですね。

野中:そうそう。今でも思い出すと恥ずかしいというか後悔しているんですけど、それを字面で見せられたときに、「コレ例えば、2番とかって、違う展開を考えられないの?」って、よくディレクターが言いそうなことを佐藤くんにポロッと言ったの。そうしたら、「言いたいことがひとつしかなかったらどうしたら良いんですかね?」って佐藤くんに問い返されて。何にも言えなくなっちゃって「そうだよね!」って(笑)。僕もディレクターとして新米だったからさ。こういう話って映画でも出てきているけど、彼の言葉って平易な言葉ですごくシンプルで、「Just Thing」でもそこは全然ブレていないんだよね。ストーリーとかディテールを変えることって、外の人は求めがちだけど、それは決して正解ではないし難しい。芸術だからって何も言わないのも寂しいと思うし。その辺の距離感の取り方を考えさせられる中で、あの佐藤くんの言葉はすごく印象深かったですね。

——音楽だけに限らずモノに対する考え方全般に言えることかもしれませんね。

渡辺:最後に、微笑ましい(!?)エピソードを思い出しました!佐藤くんが、東京・代々木公園とHNKホールの間の道をコルネットを積んで代々木公園の方にバイクで走っていく姿を見たことがあって。夜だったんですけど、コルネットの練習をしに行っていたんだと思うんです。うまくなりたい一心で一生懸命練習をしているんだなって思いました。(Vol.3に続く…)

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ポニーキャニオン時代(アルバム、ミニアルバム、マキシシングル)のFishmans年表

  • 1987年 フィッシュマンズ結成
  • 1991年 シングル「ひこうき」でヴァージン・ジャパンよりメジャーデビュー1stアルバム『Chappie, Don’t Cry』ミニアルバム『Corduroy’s Mood』
  • 1992年 2ndアルバム『King Master George』
  • 1993年 ヴァージン・ジャパン社名変更、メディア・レモラスへ移行3rdアルバム『Neo Yankees’ Holiday』
  • 1994年 マキシシングル『Go Go Round This World!』マキシシングル『Melody』4thアルバム『ORANGE』
  • 1995年 ライブ・アルバム『Oh! Mountain』ポリドールへ移籍
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